CHOCOのNYを生き抜くプロフェッショナル対談
choco_yoshioka

CHOCOのNYを生き抜くプロフェッショナル対談』は、info-fresh NY日経ウェブ掲示板にて2018〜2019年の間連載され、2022年当サイトでリニューアルオープンしました。

NYで出会ったプロ対談シリーズ 田中壱征 監督

CHOCO

お帰りなさい、ニューヨークに!! お久しぶりです!!
2018年ニューヨークで開催した映画「Tokyo Loss」上映会から早くも5年近くになりますね。
この対談のテーマとして、「10年前の過去と10年後の未来」への思いをまた綴って頂きたいのですが、せっかくなのでこの5年間の進展をお聞かせ頂けないでしょうか。

壱征監督

若い時の5年と違い、今の5年は自然と重いですね。
2018年は、米ハリウッドで開催されたオスカーアカデミー賞「Viewing Party 90th」に参加し、10月に、フランス政府認定のフランス社会功労奨励章文化芸術部門 『オフィシエ勲章』を授与頂きました。

フランス勲章授与

12月には、アジア18ヵ国が募ったアジア・ゴールデン・スターアワードで、 ゴールデンアチーブメントTOPの受賞を果たしました。原田義昭環境大臣や片山さつき内閣府特命担当大臣もご来賓された式典で、本当に光栄で感謝しかありません。

アジア・ゴールデン・スター・アワード授賞式
(高輪プリンスホテル)

CHOCO

数々の受賞と功績、誠におめでとうございます!ご自身のどのような努力が報われたと思われますか。

壱征監督

日本だけにとどまらず、新興国へ積極的に出向き、国際文化交流として、すべてボランティアで上映会を重ねて来たことで、それが受賞の結果に繋がったのではと思います。実際には受賞したことよりも、「様々な国で人情をぶつけ合う日々」そのものが宝物となったように思っています。

「スリランカにて」
ミャンマー ボランティア上映
(2018年7月)

その翌年2019年からは、新作の映画制作に全てを集中して参りました。
しかし昨年はコロナに罹患し、過労高血圧で倒れたり、新幹線のホームから救急車で運ばれたりと、大変な時期がありました。

CHOCO

ちょうど 、映画「ぬくもりの内側」の撮影真っ只中にコロナが蔓延し始めたと伺いました。大変でしたね。作品について少しお聞かせ願えますか。

壱征監督

美しい海が広がる千葉南房総が舞台です。
余命宣告をされた身寄りのない方々を受け入れるホスピスでの物語になります。
本当の家族のような絆で繋がった患者と看取り人たち。

大病院の医師と緩和ケアチームが連携をとりながら、皆で心を一つにして「ホスピスでの人間愛」を築いて行きます。人は死を意識した時、「故郷」と「愛をくれた人々」に想いを馳せ、いつしかすべてを温かく包み込む優しさに充ちて行く。
人生の最期を「愛いっぱい」で生き抜いていく姿を、今回の映画にしています。

映画「ぬくもりの内側」
メイン撮影地:千葉県南房総の風景

実は、当初2014年に沖縄でこの映画の撮影を予定していましたが、思うように環境が整わず。
3年ほど、脚本を試行錯誤した頃に、森山良子さんの楽曲との出会いがありました。
脚本最終稿を森山良子さんご自身に一読頂いたところ、「一番愛する楽曲を、ぜひこの映画に」とお言葉を頂きました。

これが映画「ぬくもりの内側」制作が、本格的に始動したキッカケです。
通常の映画制作とは違い、主題歌決定を機に生まれた映画なんです。

CHOCO

監督が映像や演技だけに留まらず、音楽や歌詞の意味一つ一つにこだわってらっしゃるのが納得です。愛がこもったこの「ぬくもりの内側」に、私の楽曲「Dear Mama」を挿入歌として起用して頂き、本当に光栄です。

壱征監督

レコーディング再依頼で、東京からニューヨークに何度も連絡してしまいましたね。
息子の母親への複雑な愛、という難しい題材に寄り添った楽曲をご提供頂き、誠に有難う御座います。CHOCOさんのシャープな想像力と主人公の叫びが完全にシンクロする作品に仕上がりました。エピソード2の音無美紀子さんに捧げた最後のシーンの楽曲、聴衆の心に響くはずです。

CHOCO

私も息子がいる身ですが、主人公の男性と立場は違っても、母親への思いというのは共通する点が多いのでは、と曲を書きながら想像していました。

監督ご自身は早くにご両親を失くされ、また育ての親であるお祖父様やお祖母様も早くにお亡くなりになったと伺いましたが、人一倍、いえ何倍も「家族」への愛を持ってらっしゃいますね。

壱征監督

実は、この作品を作りながら、常に天国にいる家族、先祖や祖父母からの愛を感じていました。その家族愛が森山良子さんの楽曲「家族写真」と共鳴したんです。
現世でも、天国でも、「愛」は永遠に生きるということが、この映画の最大のテーマになります。

年に一度CHOCOさんが日本に里帰りされる時、京都や大阪で再会をしましたよね。その際、年々年老いて行くご両親のお話をされていて。愛するご両親と離れ、ニューヨークに帰る便ではいつも涙が溢れてしまうというお話しを、今も鮮明に覚えているんです。
「CHOCOさんが1年後に、また元気に御両親と再会をされる」ことを、私も祈りながら。

CHOCO

毎年、日本を離れるときは、きついものがあるますね。話を映画に戻しますが、昨夏の「ぬくもりの内側」感謝試写会は、感動と涙で幕を閉じましたね。上映後の来場者皆様からの拍手喝采が今でも耳に残ります。ところで、今回の海外の撮影地にはなぜウィーンを選ばれたのですか。

ウィーンでの撮影終了後

壱征監督

国連の本部がニューヨーク、地域事務所がジュネーブ、ウィーン、ナイロビとあり、その中から海外本撮影地を選ぼうと思ったんです。以前から「芸術と音楽の都」であるウィーンで映画撮影をするのが夢でしたし、世界各国の有名俳優陣が撮影地に使っていたオーストリアを選びました。現地ではオーストリア日本大使館をはじめ、たくさんの方々にお力添えをいただき、撮影が実現出来ました。撮影オフの時にホテルザッハーで味わった名物ザッハートルテには不思議な感動をおぼえました。

ホテル ザッハー ウィーン(Hotel Sacher Wien)

CHOCO

映画「ぬくもりの内側」は、大御所の三田佳子さんをはじめ、主演の白石美帆さん、ベテラン女優の音無美紀子さんと、超豪華キャスト揃いでしたね。このお三人方との記憶に残るエピソードはありますか。

壱征監督

三田佳子さんは、憧れの大女優。若造の自分が、まさか一緒にお仕事をさせて頂くなんて夢にも思わず。港区某所で3時間にわたる二人きりの話し合いの場を頂き、脚本を気に入って下さいました。緊張しながら全力でお話をさせて頂いた様に思います。

三田佳子さんが私を産んだ母親と同じ年ということもあり、時間の経過とともに親子の様な空気感に包まれました。統括マネージャーさんの心意気にも感謝ですし、最後に「出演するわ!」と言って下さった後、帰りのエレベーターの中で涙が溢れたのを今でもはっきりと覚えています。

主演の白石美帆さんは、初めて顔合わせをさせて頂いた時、脚本を読んで沢山泣かれたと伺いました。また、主人公「榊原みほ」と、彼女のお名前が偶然にも一緒で。白石さんの故郷が茨城県で、私の出身高校も同じ茨城県だったことからも、郷土愛的な親近感がありました。

6話に渡る長期の撮影において、白石さんは本当に「真面目そのもの」でした。常に役作りに集中されていて、1つのシーンに対する俳優業の姿勢には、いつも頭が下がりました。大変な役を演じ切って下さり、感謝しか御座いません。白石さんの深い愛情は、映画「ぬくもりの内側」本編を見て頂けたら、180%お分かり頂けると思います。

最後に、音無美紀子さん。
俳優丈さんのご紹介で、京王プラザでお会いした日から、少しずつ信頼を築き上げて参りました。撮影中こちらの無茶振り演出もあったかと思いますが、大御所女優さんならではの「役者魂」で一刀両断に役を演じ切って下さりました。三菱UFJ信託銀行でのコラボインタビューの際には、完成した本編を見て頂き「もう少し長く撮影に参加したかった」と微笑んで下さったんです。監督業をもっとより精進したい!と素直に思えた瞬間でした。

CHOCO

この映画は、最後の最後で、ようやく事の真相が明らかにされますよね。そういうことだったのか!と。

壱征監督

最後まで観ないと、主人公「美穂」の想いは、見えて来ないでしょうね。

CHOCO

今回撮影を進める中で、特に意識されたことはありますか。

壱征監督

強いていえば、今回の撮影は特に「現実的な表現」を意識していました。
海外の「メソッド演技」ももちろん大事ではありましたが、それ以上に、日本人ならではの「空気感」を大事にしました。出演者皆さんの心も尊重しながら、たくさんの良いシーンが撮れたと思います。

CHOCO

撮影中に一番苦労されたことは?

壱征監督

映画制作に苦労はつきものですし、毎日が修行の連続でした。しかし「天候」だけは人間どうすることも出来ず、雨季は天気予報を見るのも怖かったほどです。しかし晴れの日の景観は見事で、感動でいっぱいでしたね。
撮影期間が長かった映画だけに、出演者の皆様、事務所様、スタッフ陣営、撮影地関係者の皆様には、深い感謝しか御座いません。

撮影にご協力頂いたプロ女子サッカーチーム
オルカ鴨川

CHOCO

監督ご自身の記憶に残っているのはどのシーンですか?

壱征監督

白血病の新垣裕子が出演するエピソード1のクライマックスシーン。クランクインから1ヶ月ほど経った深夜4時過ぎに、出演者さん、カチンコを持つスタッフ、関係者の皆が号泣した撮影現場でしたね。私が「終了!」と言い放った夜明け近く、皆が送ってくれた拍手がまだ耳に残っています。そこから最後のクランクアップまで、愛のバトンリレーが出来たと思います。
また身内話になる記憶のシーンですが、大事なPorsche Panameraが健全に走っていた頃のシーンは深く心に刻まれました。苦笑

CHOCO

これからの映画製作では、積極的に外国人を起用する事も検討されていますか。

壱征監督

俳優女優や国籍云々ではなく、「いつもフォローし合える人間力がある方」とご一緒したいですね。人間生きていれば、良いことも辛いことも当然あります。その際「良い時だけ付き合う仲」ではなく、「辛い時も一緒に分かち合える仲間」が大事だと思うんです。そんな環境は「幸せ」と言えますし、本望ですよね。

また、映画「ぬくもりの内側」ではオーストリア人やタイ人の方々も出演してくださっています。
これからも、各国の俳優さん達とどんどんお仕事をして行きたいと思います。

タイでの撮影

CHOCO

監督には、個人的に本作品を観て欲しかった方がお二人いらっしゃったそうですね。

壱征監督

はい。一人目は、エピソード4にご出演頂いた故渡辺裕之さんです。
当映画が、ご本人の遺作となってしまいました。
私が制作中に重圧と不安に押しつぶされそうな時、「どんな試練があろうとも、自分の信じた道と作品には、魂を貫き通しなさい。『名作』は世に残るから、実行あるのみ。頑張れ!」と裕之さんからお声がけ下さったのです。渡辺さんに残して頂いた言葉は、一生の宝となりました。(この内容は5月17日発売の週刊文春さんの記事にも掲載されています)
裕之さんには、大劇場の大画面で観て欲しかった…。

もう一人は、安倍晋三元首相です。
前回のインタビューでもお話ししましたが、2017年の福島県川内村での東北復興支援のドキュメンタリーで当時の安倍首相を直々に撮影させて頂きました。昭恵さん共々映画「ぬくもりの内側」をご応援頂いていましたので、一般公開時にはご夫婦揃って観に来て頂きたかったのに…。7月の事件は痛恨の極みでした。

CHOCO

お二方ともまさに最近の突然の悲報で、本当に驚きましたね。残念でなりません。
この後、この映画「ぬくもりの内側」に続く最新作があるとの事ですが、どの様な作品ですか。

壱征監督

昨年7月から正式にクランクインし、間もなくでクランクアップとなります。
2014年から念願だった「沖縄県」を本撮影地にした、笑いと涙に溢れる長編映画になる予定なので、完成まで楽しみにして頂けたらと思います。

また今手がけている映画が完成したら、また海外に拠点を移そうかなと予定をしております。
海外を拠点にした国外での映画制作も行われる予定ですし、また国外で頑張りたいです。

CHOCO

今後、どちらの国を在住拠点にされるご予定ですか?

壱征監督

まだ口外禁止なのですが、1998年訪UAE以来となるドバイは少し立ち寄りたいと思います。
2018年はドバイ経由で、モロッコとアゼルバイジャンを訪問しましたが、今回はドバイそのものへ。今でも残っているアラブ特有のあの趣が好きですね。

壱征監督撮影 ドバイ/ブルジュハリファ
壱征監督撮影 NewYorkの街並み
壱征監督撮影 NewYorkの街並み

今後の海外在住拠点の候補は、実際にいくつかありますが、1996年から在住していたニューヨークへも年に4回は遊びに行きますので、その時は宜しくお願いします。今でも、ニューヨーク自体が、自分自身のポテンシャルになっていることは確かな事実なんです。
Jay Z ft. Alicia Keysの「Empire State Of Mind」は、マンハッタンの「生きてる感」を思い出させてくれますし、精神的にきつい時は、いつも聞いて、「NY魂」を奮い立たせています。

CHOCO

壱征監督の作品はいつも人との繋がりや温かさを訴えかけていて、どこか昔懐かしい気持ちになる日本人的なヒューマンドラマが多いと感じています。私の様に海外に住む日本人や、日本に馴染みのない外国人の方々に対して、どの様なメッセージを送りたいと思われますか。

壱征監督

自分は大正生まれの祖父母に育てられた影響か、「寅さん」や「北の国から」のような人情味溢れている作品や空間がとにかく大好きで、根っこは「大正・昭和魂」の人間なんだと思います。
葛飾区柴又と亀有に住んでいたこともありますし、たまに訪れると不思議に落ち着くんですよね。

元来、自分の人生は、「バックパッカーそのものみたい」な感じですが、「昭和のノスタルジック感」と「人間愛」「絆」の3つが揃う場所やコミュニティには、魂が呼び戻されると感じてます!!

この3つは、今を生きている皆さんの心の奥底にある箱の中にちゃんと潜んでいて、たまにその鍵を開けて行くのが自分でありたいなって思っています。国籍を問わず、どんな方にでもご理解して頂ける大事な要素だと思うので。

様々な国で作品を上映して来ましたが、人々の反応を伺うと、血や心は世界共通なんだと感じます。

今後は海外を拠点とし、この「3つ」を胸に、これからも発信を続けて行きたい。日本、米国、また他の国で映画が上映された際には、現地の方々には是非足を運んで頂きたいです。

コミック化された田中壱征監督の生き方

CHOCO

最後にこの対談のテーマ、10年後のビジョンを教えて下さい。

壱征監督

自分は「映画監督」が本業だと思っておらず、「今の人生を生き抜く」ことだと思っています。
一つに固執したり変なプライドを持つことも嫌いです。

この10年間は映画のことだけを考える人生でした。休みもなく、ロケで風光明媚な場所を訪れても、自宅に帰宅したら支払いが遅れて水道が止まっていたなんて事も…。
映画制作中は、お金が水の様に流れて行くものなので、そういう事態にも陥ります。
決して笑えない人生です。 

また実は31歳でバツイチになり、親権を取れず息子と生き離れをした過去があります。
自分は、まだまだダメな人間です。もっと、頑張らないといけないですね。
私が子育てが出来なかった分、「映画」に時間とお金をかけて来たのでしょうか。
ただ遠くで「努力している親父の姿」は息子にちょっとでも感じていて欲しいですね。

10年後のビジョンとしては、健康を維持しながら新たな挑戦をしたいです。
どんな分野かはまだ明確に言えませんが、人生はあっという間ですし。
この世でしか出来ないことがまだあると思うんです。

・・・・・・

インターネットもない時代の1999年(海外バックパッカーの時)

ロンリープラネット(海外旅ガイド)を片手に、ある田舎の国際空港にたどり着きました。

空を見上げたら、海側の向こうの空に、綺麗な夕焼けが見えました。

その夕焼けがもっと見たくて、走って、ただただ向かいました。

全くアテなんかないし、全く未来(あした)もわからない。

でも、その綺麗な夕焼けをもっと見ることが出来たら、「新しい風」が手に入る気がして。

今より、微笑めるのかなって・・・。

だから、走ったんです!!

あの時の「想い」・・・今も、10年後も、大切にしたいと思っています!!

CHOCO

今から、新たな海外拠点、楽しみですね!
次回またニューヨークでお待ちしております。

壱征監督

この度は、5年ぶりのニューヨークでの対談を誠に有難う御座いました!
映画作らないと、ここに呼んでもらえないので、本当に貴重そのものでした!!深く感謝致します。
近々ですが、沖縄県の新作映画が完成しましたら、
海外どこからか、ニューヨークに飛んでまいります。
お会い出来ることを楽しみにしております。

田中壱征 (ISSEY TANAKA)
1973年生まれ

映画監督・脚本家

釜山国際映画祭 釜山市友好作品授与(2017)
アジア国際映画祭 ノミネート受賞(2017)
オスカーアカデミー賞90th(米国ハリウッド)公式参加(2018)
フランス政府認定 フランス社会功労奨励章文化芸術部門『オフィシエ勲章』授与(2018)
映画「ぬくもりの内側」監督製作(2021)
出演:白石美帆、三田佳子、音無美紀子、渡辺裕之、野村真美、スギちゃんetc.
主題歌:森山良子

  • auther : CHOCO YOSHIOKA
  • auther:吉岡ちょこ
    (CHOCO YOSHIOKA)

    シンガーソングライター
    CHOCO RECO NYC 代表
    ACE音楽スタジオ主宰
    ALIVEパフォーマンスショウ総合プロデューサー 

    京都出身。90年代後半に来米しボストンのバークリー音楽大学を卒業後ニューヨークに移住。パフォーマンス活動の傍ら数々のショウをプロデュース。

NYを生き抜くプロフェッショナル対談映画監督:田中 壱征Director : Issey Tanaka『ニューヨークINFOより、引用』

映画監督 田中壱征氏
オスカーアカデミー賞90th
エルトンジョン主催
foundation VIEWING PARTYにて

CHOCO

芸能界・映像界で下積みからTVCM監督を経て、2015年に映画監督になられ、2017年には東北復興支援のドキュメンタリーで安倍内閣総理大臣を撮影、10月には長編オムニバス映画「Tokyo Loss」が釜山国際映画祭で「釜山友好作品」として賞され、11月は台北で行われたアジア国際映画祭でノミネートを果たす、という快挙続きの田中壱征監督ですが、今月25日にはここニューヨーク・マンハッタンのダウンタウンにて上映会も決定されたとのこと、誠におめでとうございます。

伯議長より「釜山広域市議会友好作品」として認定授与
釜山広域市議長室にて(写真左)
アジア国際映画祭ノミネート受賞ステージ
同映画祭ノミネートリスト

監督は以前ニューヨークにお住まいだったとのことですが、いつ頃のことですか?

ISSEY監督

誠に有難う御座います。
はじめてニューヨークを訪れたのは1996年でした。
JFKに到着し、入国管理局で私の前にいたのは歌手の安室奈美恵さんで。
安室奈美恵さんも初ニューヨークだったそうで、彼女は既に日本で著名人。
小生は、講談社での映像編集の仕事を辞め、誰にも見向きもされない日本を捨てたただの男で、同じ場所に降り立ちながらものすごい格差の空気を感じたのを覚えています(笑)。

生まれて初めての海外。そしてNYの勢いにとても衝撃を受け、どうにかして住みたいと思い、MTVの下請け会社で肉体労働の仕事でなんとかH1Bビザを取得出来、ニューヨークフィルムアカデミーやHBスタジオで勉強し、2年間過ごしました。
当時は日本人は皆無に等しく、差別もあり、移民として暮らすにはとても厳しく辛いことがたくさんありました。

CHOCO

私もニューヨークを初めて訪れたのは1998年でした。ボストンに来た時にどうしても訪問したくて。その後、西海岸にも住みましたが、あのそびえ立つ摩天楼の画は他になくて。今でこそアジア人も増え、他州にも高層ビルが建ち並びますが、90年代独特の匂い、手入れされていないストリート、むき出しの荒々しさがこの街にはありましたよね。

ISSEY監督

当時のSoHoやイーストビレッジ界隈がとても記憶に残っています。いつも、ビレッジの日本食居酒屋で軽く飲んだあと、2番街を1時間半かけて北上し、マンハッタンの深夜の夜景と泥臭さを見ながら家まで歩き帰るのが好きでした。

ニューヨーク時代、仕事仲間たちと(写真左)

NYを離れる日のこと。
当時付き合っていた彼女とも別れ、JFKで完全ひとりになった時、
「もっと大きくなって、いつかNYに戻りたい!」と、心の中で何回も何回も叫びました。

そして、日本へ完全に本帰国をする前になにかを成し遂げようと、閃いたのが「世界一人貧乏旅行」でした。 1998年から1年間、バックパッカーとしてインド、UAEをはじめ32ヵ国を旅しました。最後に行き着いたタイ・バンコクでしばらく滞在しました。

その後、ニューヨークへは一度友人の結婚式で戻る機会があったのですが、日本へ帰る日がなんと2001年9月11日。

JFKから飛行機に乗り込んだ 3時間後、あの911同時多発テロが起こったんです。成田空港に到着したら周りが大騒ぎで、しばらく呆然としました。
「NYからの最終便が到着しました」と記者の皆さんがカメラに向かって叫んでいました。

その時のパスポートは、今でも大事に持っています。

CHOCO

日本にはない危険性を見せつけられる出来事でしたね。私はその時ボストンにいたのですが、あの辺りから急激にアメリカ中の様々な規制が厳しくなり、安全になった反面、良い意味で粗野な雰囲気も薄れたのかも知れません。
田中監督はどう思われますか?

ISSEY監督

実は、小生には、2歳から両親がおらず、当然、日本には帰る家自体も、祝祭日を一緒に過ごす家族もなく、本帰国の際は仕事すらもありませんでした。自分が社会から必要とされているとも全く思えず、日本を捨てることしか考えていなかった小生がいました。

あの911事件でなにかニューヨークから、ずっと何かを求められているような気がしてならなかった感じがあります。

マンハッタンという街は、「自分自身が街と一緒に活発に動いているんだ!!」と24時間、実感する街だと思っています。

嬉しいことがあった時は、マンハッタンの夜景がすべて自分のためにあるかのように思えるし、心が辛い時は、逆にマンハッタンが物凄く怖く見えてしまう。

当時、小生は国外でなにかを成し遂げたい、と外ばかり見ていたんです。
結果は、「逃げの人生」だったのかもしれません。だけど、出した結論は、「もしかすると自分は日本でゼロから挑戦し、成功して海外に出るべきなのでは!!」と感じたんです。本帰国の時は、ゼロと言うか、もうマイナスからのスタートだったんですが。苦笑

CHOCO

本当に全身全霊でぶつかり突き進んで来られたのですね。その活力、監督ご自身の生き方が芸術だと感じます。

そういう『芸術を仕事にする』ご自身の立場について、日頃から気をつけていることはありますか?

ISSEY監督

脚本を書く自分にとって、日々24時間すべてが勉強になるので、感じたことはいつもiPhoneにメモします。

たとえば、台北でのアジア国際映画祭ノミネートステージが終わった翌日、こんなことが。

昨年11月台北で行われた
アジア国際映画祭ノミネートステージ
(写真左はし)

街で見掛けた、高校生くらいのお孫さんとおばあちゃんがいて。
歩くことが不自由なおばあちゃんの手を、お孫さんは10分、20分、30分と、ずっと離さないでいたんです。小生は、強い「家族愛」に心を打たれ、思わず自然とカメラにおさめていました。
日本も昔は、こういう光景がたくさんあったのにな・・・って。

 他にも、2月の寒い日の朝、神戸三宮のある公園で、浮浪者のおばあちゃんがあんぱんをひとかじりしたまま、寝てしまっていたんです。
周りは気にも留めず通り過ぎる中、小生は眼が離せなくて。

このおばあちゃんはどこから来て、どんな気持ちでここにいるんだろう。
どんな思いで、この公園でこのあんぱんをひとかじりしたんだろう。
きっと、小生が同じあんぱんを食べても、同じ味を味わうことは到底できない。

そう思うと、もうそのワンシーンには「非日常」しか感じられなかった。
太陽の日差しがおばあちゃんの顔をそっと包んでいて、小生は正直放っとけなくて、おばあちゃんの膝にそっと小銭を置きました。

様々な人がどんな人生を送っているかで、はた目には同じものごとなのに、全く違う意味がどんどん吹き込まれて行く・・・

CHOCO

監督の感受性、視点が常に「感動」の方へ向いているのが解ります。そういう形にないものをアウトプットするのって、精神状態に振り回されませんか?私は曲を作る時に、書こうと思ってから2年くらい経ってしまったものや、急に思いつき1、2日で書き上げる曲もあります。機械的にできることではないですし、 効率的に想像力を働かせるにはどうするべきなのでしょうか?

ISSEY監督

私たちクリエイターは、一般の人が「普通」と思うささいなことを、決して見逃してはいけないと思うんです。先ほどの話しのように、他の人は通り過ぎるものであったとしても、本当はその背景を深く深く想像してみると必ずたくさんの 「人生」と「心」がつまっている。

この世に、意味のないものなんてないんです。
そのことを常に気に留めています。

CHOCO

いつでもアンテナがオンモードなのですね。ではオフの時はどうお過ごしですか?リラックスしたい時などは?

ISSEY監督

一眼レフカメラが好きで、写真を撮っています。
日本写真家連盟の会員なので、写真家としても動いているんです。
映像はプロ中のプロとして。写真は隠れプロとして楽しんでいます。

ただ、オフ日は年間そうあまりなく、海外出張の時にちょっと組み込むくらいで。2月に訪れたアゼルバイジャンでは、一日オフにして、見事に写真三昧の1日となりました。旧市街で出会った少女の瞳には感無量でした。
お母さんの許可を取って、笑顔で握手をさせて頂きました。

アゼルバイジャン旧市街の少女

映画は、職業病が出るからか、オフの時は実はあまり観ません(笑)。
が、感動的なCMや、ふと出会いがある動画などを見たりしています。 

あと、若い時から、社交ダンス(ラテンアメリカン)やSALSAもやっていまして、ラテンペアのノリと空気が大好きです。
英語が下手な小生は、このダンスには非常に助けられています。
3月にハリウッドで行われたオスカーアカデミーのアフターパーティでもバッチリ披露させて頂いたり(笑)。
周囲にいた有名な方々や富裕層が皆して、鼓動を上げておられていました。
「ダンスではなく、本業の映画で小生を見てください」と心の中では思ってしまいました。笑

CHOCO

田中監督は、ダンスもされるのですか!驚きました!! なんとも多才ですね。やはり、視覚に響くものに意識が向きやすいのでしょうね。
それでは、この対談のテーマである「10年前のご自身」に対して今、思うことはありますか?

ISSEY監督

あえて思い入れが強い19年前にさせてください。
19年前のちょうど今頃、1999年4月29日は、バックパッカーからタイ・バンコク在住の生活にピリオドを打ち、本帰国をした日になります。
逃げていた人生にピリオドを打った日になります。
成田空港に着いても、当然帰れる実家すらなく、「おかえり!」と言ってくれる友達もいませんでした。

空港から直で親のお墓参りに向かう途中、「このまま成田空港に戻ってまた飛びたい!!」と、何度も、何度も、思いました。
「帰る場所がどこにもないのに、本帰国して俺は一体何をしているのか」と、自問自答の繰り返しでした。

「またゼロから頑張ろう、諦めたら負けだ!!」と当時大流行していたマライアキャリーの「HERO」を何回も何回も何回も聴きながら、
その日の宿を探すため、都心へ向かったのを覚えています。

CHOCO

マイナスからの逆転劇、気になりますね。
続きは5月25日の上映会でも伺いたいです。¥
それでは最後となりますが、10年後のご自身の姿、自分に向ける言葉をお願いいたします。そして、今後の製作は?

ISSEY監督

以前在住していたバンコクで、今年3月31日に、新作映画「TokyoLoss」のプレミアム上映会が開催され、お陰様で大成功に終わりました。
逃げの人生を辞める決断をしたバンコクでの今回の上映だったので、壇上で思わず、目頭が熱くなってしまいました。
そして、今回、5月25日には思い出のニューヨークに戻っての上映会となりました。JFKを離れた時のあの思いが、自分の胸を深く差し込みます。

そして、今後の製作は、3つの作品の構想案が予定されています。
どうか温かく見守って頂けたら幸いです。

渋谷でのプレミアム上映(写真中央)

最後に、
小生が、今心に決めているビジョンがあります。
50歳までに欧米の国際映画祭ステージやハリウッドで必ず受賞を果たすこと。
その目標のために、小生は日々努力を重ねております。
本当に地味な精進の毎日の積み重ねしかありません。

「今」を必死に歯を食いしばって頑張って生きている世界の人々に、
「心からの笑顔」と「生きて行く勇気」を少しでも多くプレゼントできるよう、
今後も、感謝の気持ちを大事に、この映画界で精一杯精進して行きたいと思います!! 

まだまだ若輩者ですので、今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い致します!!

この度は、インタビューの機会を誠に有難うございます。
重ね重ね、感謝いたします。

またお目にかかれる日を楽しみにしております。

田中壱征監督
新作「Tokyo Loss」

上映会(英字幕つき)

日時:5月25日(金)

18時半開場、19時試写会スタート

DCTV会場にて
Lafayette Street , Manhattan ,  NYC.

田中壱征 (ISSEY TANAKA)
1973年生まれ

映画監督・脚本家

講談社を辞め、ニューヨークとバンコクでの在住やバックパッカーとして、様々な海外経験を経て、1999年に本帰国。
下積みを経て、大手企業のTVCM監督へ。
2015年に長編映画「Tokyo Loss」で映画監督となり、オムニバス8作品を製作した。釜山友好作品として認定、そしてアジア国際映画祭2017ではノミネートを果たす。
フジテレビやTBSなどゴールデンタイムのTV番組に出演し、今年3月4日、LAハリウッドで開催されたオスカーアカデミー賞VIEWINGにもオフィシャル参加。
『生きていくことの素晴らしさや絆を伝え切るヒューマン映画で、世界をより温かいものに変えていくこと』に 焦点特化した映画監督である。

フジテレビ番組にて「Tokyo Loss」の紹介
TBSテレビ番組にて「Tokyo Loss」の紹介

ニュース アーカイブ

映画「TokyoLoss」2018
インフォマーシャル用Exhibition

TokyoLossキャスト:大林素子/山田親太朗
2017年 釜山国際映画祭 釜山市友好作品賞
2017年 アジア国際映画祭 ノミネート

  • auther : CHOCO YOSHIOKA
  • auther:吉岡ちょこ
    (CHOCO YOSHIOKA)

    シンガーソングライター
    CHOCO RECO NYC 代表
    ACE音楽スタジオ主宰
    ALIVEパフォーマンスショウ総合プロデューサー 

    京都出身。90年代後半に来米しボストンのバークリー音楽大学を卒業後ニューヨークに移住。パフォーマンス活動の傍ら数々のショウをプロデュース。